旧立場川橋梁(きゅうたつばがわきょうりょう)は、1904年(明治37年)に完成した富士見町の信濃境駅 – 富士見駅間にある鉄道橋です。1980年(昭和55年)の線路付け替えによりこの橋梁は廃橋となりますが、ありがたいことに旧立場川橋梁は解体されることはありませんでした。廃橋から44年経った今も、120年前と同じ場所に赤錆がかった状態で現存しています。その明治時代の文化遺産の橋梁を見に行ってきました。
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幼いころの原風景
……富士見町 旧立場川(たつばがわ)橋梁……
「是枝裕和監督の『怪物』の映画に、旧立場川橋梁の場面が出てくるんですよ」
富士見町の地元出身の友人が、喜びに満ちた表情で話してくれました。彼は明治時代に建てられたその橋梁の近くで育ち、幼い頃から田んぼの水面に映る国鉄の列車を見て育ったそうです。宮崎駿監督のアニメーション映画『風立ちぬ』でも、富士見高原病院へ向かうための蒸気機関車がこの橋梁を通るところが描かれているとのこと。友人の話に触発され、田植えの季節にその旧立場川橋梁を訪れました。
四十年以上前に使用されなくなった橋梁は赤錆がかっていましたが、荘厳な姿で私を迎えてくれました。管理道から歩いて橋梁まで上がることができ、春夏秋冬、幾多の列車が走り抜けた様子が想像されました。この橋梁は約百十メートルの長さがあり「ボルチモアトラス橋」という形式で、アメリカンブリッジ社製のトラスが使われています。岡谷の製糸会社の生糸を輸送するため建設が急がれましたが、ここは諏訪地方の未来と期待を背負った鉄道開通の難所でもあったそうです。重機もなく人力に頼らざるを得ない時代だったので、この工事は大変な苦労がありました。
こうした貴重な明治の近代化遺産を間近で見ることができ、深い思いに浸ることができました。この橋梁はただの構造物ではなく、地域の文化と歴史を象徴するもの。富士見の静かな風景の中で、歴史の重みを感じながらかつての活気に思いを馳せました。彼の嬉しそうな表情を思い出しながら、私もその意味を少し理解できた気がしました。