ここ伊那谷は「信州そば」発祥の地です。奈良時代のはじめ修行に出かけた修験者が、その途中に現在の伊那市内で大変なもてなしを受け、お礼として置いていったそばの実がその後大切に受け継がれて「信州そば」になったと言われています。
また、桜の名所で有名な高遠で昔から受け継がれてきたのが「高遠そば」です。「高遠そば」という呼び名はこの地域に古くからあったわけではありません。高遠藩主の保科正之が山形藩や会津藩に移った際、無類のそば好きが高じてそば職人も最上へ、会津へと連れて行きました。その人たちが広めた高遠のそばの食べ方が受け継がれ、会津地方で敬意を込めて「高遠そば」と呼ばれるようになりました。近年、昔から同じ食べ方をしている高遠町にその呼び名が里帰りしたとのことです。
名物「高遠そば」の特徴は、「からつゆ」と呼ばれるそば汁にあります。これは大根の絞り汁に焼き味噌を加えたものです。そば汁は醤油にだしを加えたものが一般的ですが、醤油が普及する江戸時代中期より前には、そばは大根の絞り汁で食べるものでした。つまり、高遠そばに見られる「からつゆ」は、昔から受け継がれた伝統のそば汁ということになります。
「高遠そば」を提供してくれるお店が高遠には何軒かあります。その中で行列ができる人気店に無理をお願いして取材させていただきました。






ここはそばの種類により挽き方や打ち方を変えて毎日数種類のそばを提供しています。開店前の忙しい時間帯に、その日に提供するそばを打つ様子を拝見させていただきました。粉を混ぜあわせてこね、包丁で切り終わるまで、手際よくしかも細心の注意を払いながら作業されており、極上のそばの味を想像しながらシャッターを切らせていただきました。打ち終わったそばを切る音が静かな店内に響いていく様子を思い出しながら切り絵を制作していくうちに、作品が3つも出来上がりました。



新そば
……伊那市 高遠町……
10月から11月にかけて、伊那谷では新そばを味わえるそば祭りがいろいろなところで開かれました。
秋の青空のもと、紅葉した木々を眺めながら高遠城址公園のそば祭りを楽しみました。その後「ご城下通り」沿いにある開店前から行列ができる人気のそば屋さんを訪れました。
「お勧めはなんですか」
横の席のご夫婦から声をかけられました。娘さんからここのそばがとてもおいしかったと聞いて、お隣りの岐阜県から信州の秋の紅葉とそばを目当てに3時間かけて来られたとのこと。
「このお店は風味や食感をとても大事にしていて、そばの品種に合わせて挽き方や打ち方を変えて何種類ものそばを提供してくれるので、どのそばも個性を感じることができますよ。初めてでしたら大根の絞り汁に焼き味噌を加えた辛つゆで食べる『高遠そば』にしてみるのもいいかもしれません」
「大根のしぼり汁と焼き味噌で食べたことはないわ。主人も私もそばが好きで、昨年の今頃はとうじそばを食べに奈川まで行ったんですよ」
「そばが好きな方でしたら、ここのご主人たちが昔の高遠の在来種を探して、たった6粒から復活させた『入野谷在来』という貴重なそばが香り高くお勧めですよ」
「迷っちゃいますね」
注文したそばが届き、甘味や旨味、風味等を感じながら一本一本じっくりと味わっていると、一足早く食事を終えたさっきのご夫婦が席を立ち、
「こんなおいしいそばは初めてでした。高遠を訪れて本当に良かったです」
と笑顔で去って行かれました。
店を出て歩き始めたところ、
「先ほどはありがとうございました~」
手を振りながら岐阜ナンバーの車が紅葉し始めた山並みに向かって通り過ぎていきました。


