箕輪町教育委員会より作品制作の依頼があり、箕輪町の伝統文化芸能の冊子の挿絵を何枚か作ることになりました。その中に「庚申塔」があったのですが、いただいた資料や写真だけではどうもイメージがつかめず、場所をお聞きして取材に訪れました。
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庚申塔……
旧暦の庚申(かのえさる)の日は、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
道路わきに建てられている庚申塔の石碑を見ると、新しいものは昭和55年。古いものもいくつか立っていました。更新の年は60年ごとに訪れるとのことなので、昔の人たちが思いを込めて建てたものでしょう。石碑の中には男女が手を取り合う道祖神もありました。そんな石碑を眺めていると、地域の人たちがこの石碑にかかわってきた営みを思い起こされるような気持ちになりました。
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